いわゆる嘘松と呼ばれたものであっても嘘であると断定できないものも多く、やりすぎてしまった事例やその後、実際にあったことであると判明した事例も少なくありません
この記事では、そういったやりすぎた嘘松の晒しあげの事例を紹介します。
実際にあったことっだったのに……やりすぎた嘘松の晒しあげ
2017年10月30日に、購入した缶入りスープの味がおかしく、中身を確認したところ、酷く変色していたとの主旨の報告がtwitter上でありました。
ところが、これに嘘松扱いする反応が殺到してしまいました。
このように、何の証拠も無く被害報告を嘘だと断定する意見が殺到し続けていました。
中には、何等かの工作までをも疑う意見を自信満々に述べる人まで出てきてしまい、事態は過熱する一方でした。
しかし、後にこの件が実際にあったことであるというのを、もう一方の当事者であるローソンが同じ環境に置かれた商品を調査したうえで認めました。
ちなみに、変色してしまった原因は、缶入りスープを過熱しすぎていたためとのことです。
https://news.livedoor.com/article/detail/13856054/
実際に被害にあわれた方は、大勢から嘘松あつかいされてしまうという二次被害にあわれてしまったということになります。
このようなケースでは、恥をかくのは、根拠もなく相手のいっていることを嘘だと断定して攻撃してしまった側になります。
しかも、「SNS上で実際に何等かの被害にあったことを報告したが、多数から嘘だと一方的に断定されてしまった」という事例はこれがはじめてと言わけではありません。
こういった実際に被害にあわれた方の報告を一方的に嘘だと断定し、批判する騒動は「嘘松」という言葉が生まれる前から起きており、問題の根深さを物語っています。
https://togetter.com/li/756665
この件では、カップ焼きそばの『ペヤング』にゴキ〇リが混入してしまっていたという報告をした大学院生(当時)に対する誹謗中傷が横行してしまいました。
ただの捏造、ペヤングが大人の対応しただけ 製造過程で入る事が考えられないし、1匹しか入ってる報告がない時点でお察し <ペヤング、商品の「自主回収」を発表――「ゴキブリ混入騒動」受け、2種類を回収> nico.ms/nw1349899 #niconews
https://togetter.com/li/756665
実際には、食品に異物が混入してしまうという事件は過去にも何度も起きていることであって、「考えられない」「あり得ない」と言い切ってしまえるものではありません。
実際に、食品に虫などの異物が混入してしまうという事件は、度々起きており、専門の機関などに持ち込まれて調査される事例も確認できます。
このカップ焼きそばにゴキ〇リが混入する四年前の2010年でも、東京都健康安全研究センターに持ち込まれた食品への異物混入事例では、虫が食品に混入してしまった事例は11件もあったことが示されています。
https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/files/archive/issue/kenkyunenpo/nenpo61/01-33.pdf
このように、食品に虫が混入してしまうということは、2014年時点でもあり得ないことではありませんでした。
もちろん、食品工場では虫などの異物が入ってこないように徹底した衛生管理が行われていますが、人の出入りも当然あるので虫が工場内に入り込んでしまう可能性も0ではありません。
この件においても、実際にゴキ〇リが混入してしまった可能性が高いことが後の調査で示されており、販売元の食品メーカーは製造中止・販売停止を決定しております。
つまり、これはTwitterで報告を行った大学院生が嘘をついていた可能性が低いということをも意味しています。
このように、一方的に嘘松と断定され晒し上げまでされてしまったものの、その後、嘘では無かった(少なくとも嘘と断定できるものでは無かった)ことが判明し、嘘松だと断定した側が恥をかく結果におわってしまった事例は少なくありません。
何故、安易に嘘松扱いしてしまうのか?
ネット上には真偽が不確かな情報が飛び交っていますので、怪しげな主張や意見には取りあえず疑ってかかるのを一概に悪いとは言えません。
しかし、それは、相手の言っていることを無根拠に嘘だと軽々に断定することを意味しているわけでもありません。
相手の言っていることを無根拠に嘘だと決めつけてしまうのは、相手の言っていることに全く疑念を抱かずに信じ込んでしまうのと同程度の行為です。
真偽が解らないときは、真実・虚偽のどちらかだと決めつけるのではなく判断を保留し、真偽がはっきりとするまでは評価を下すのはやめておく慎重さが求められます。
そういった慎重さを欠いてしまうと、後々、恥をかく羽目に陥ってしまいます。
また、例えば、Aという分野で真偽がはっきりしないことを言っている人が、Bについておかしなことを言っていたとしても、Bについておかしなことを言っていることがAという分野で過ちや虚偽を言っていることをも意味しているわけでもありません。
これは、対人論証という論理的誤謬です。
次のような例文で考えてみると、こういった論法・思考法が間違っていることがわかります。
「Xという人は、あのイラストを高く評価しているがXは過去に暴力事件をひきおこしており、よって、Xのあのイラストへの評価は妥当だとは言えない」
Xに暴力事件をおこした過去があるということが本当であったとしても、Xのそのイラストへの高評価が妥当か否かは全く別の話です。
Xの意見の是非を、「Xという人間は信用できるか?」という問題にすり替えてしまっています。
この場合は、Xの(本来のテーマとは無関係な)過去についてではなく、Xのそのイラストへの高評価が妥当かどうかについてを考えるのが論理的には正しいのです。
ところが対人論証に陥ってしまって、「過去にこんなことをしているから、今言っていること(やっていること)も間違いだ」と考えてしまい、結果、恥をかくこともあります。
真偽がはっきりしないことには判断を保留する、無関係なことを安易に結びつけない、こういった点に注意しておけば、他者が言っていることを安易に嘘だと断定して後々、恥をかくことはなくせるでしょう。
以上、やりすぎた嘘松の晒しまとめについてでした。